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NO to YES!です

福島の子どもたちの保養を続けている理由

おはようございます!

今年の夏は天気の悪い日が多いですね。湿度も高く、なんだかスッキリしない毎日です。



保養が終わって、もう10日が経ちました。早いですね。

これまでは、7月末頃から始まって、お盆前に終了するようにしていたのですが

お盆の前辺りは台風の影響があり、フェリーが欠航したりするので、今年の保養は夏休み初日からに変更しました。

先日、東北を直撃する台風が発生し、フェリーもその前後に欠航するのをみて、いい判断だった!と思いました。

そのくらいもう、経験を活かせるくらい続けているのだなぁ、、、とも思いました。




「保養」と言うと「保養ってなに?」という質問をよくされます。

2011年東日本大震災、福島第一原発事故が起きた後は、その「保養」という言葉はよく聞いたと思うし、このまま「保養」と言う活動は定着するような気がしました。

たくさんの団体が「保養活動」を始めましたし、たくさんの親子が保養に参加したり、子どもだけを参加させたりしました。その頃は行政や民間の助成金なども多かったです。



けれども時間と共に、「保養」という活動は少しずつ減っていったし、聞かなくなりました。

助成金も同じように減っていきました。

保養の活動を続けていたのは、殆どがボランティアや、寄付なので、続けることができなくなるのは仕方のないことだと思います。

そして、その当時60代だったボランティアの方は、今は70代になり、体力が続かなくなった、、、という話も聞きます。

私もその頃は40代前後だったのですが、アラフィフという現在は以前よりも「疲れるなぁ、、、」と感じることがよくあります。

寄付やボランティア、無償の支援をずっと続けていくことは至難です。

「大変そう」に見えるとしたら、恐らく能登の震災の方が今は深刻だと思います。

福島の応援はしたいけど、全部を応援することはできないのでより大変なところを応援する、という声もありました。当然のことだと思います。私も能登の震災、先日の山形の豪雨のボランティアを募っているのをみると「行きたい」という気持ちになります。



時々、福島で暮らしている方からメッセージも来ます。

「福島はもう大丈夫ですから。」という内容のものもあります。

もう心配ない!という人は、それはよかったなぁと思います。

だけど、心配しながら子育てをしている、子どもを海や山でのびのび遊ばせることができない、という声も同じようにあります。

「福島はもう大丈夫なんでしょ?」と聞かれることもあります。




私たちが保養を続けてくることができたのは、本当に、私からすると「奇跡」のようなことです。

2011年〜2016年は私の職場でもある、札幌協働福祉会という障がい者施設を運営する社会福祉法人が保養をしていました。

5年が経ち、法人での保養の運営は撤退することになりました。

2016年から任意団体での保養が始まり、クラウドファンディングでその年の保養を開催することができました。

でも、今後も毎年クラウドファンディングなどで寄付を募り、保養を続けることは無理だと思いました。



1つ目の大きな奇跡だったのは、その時に、東京の鈴木浩蔵さんという友人が「応援しますよ」と言ってくれたことです。あれからもう8年経ちますが、鈴木さんは今でも毎年寄付をしてくれています。

まず、その寄付がなければ保養は続けていけません。



2つ目の奇跡は、鈴木さんだけではなく、多くの方たちが今でも寄付や贈り物、様々なカタチで応援を続けてくれていることです。

先に書いたように、「大変そう」には見えない、大変そうな報道は少ない福島ですが

それでも支援を続けてくれているのは、なぜなのだろう?と、今回の保養で、私は何度か考えました。

それはきっと、私も思うことなのですが

「福島はもう大丈夫だ」とか「放射能はもう心配がない」と思えないこと。

「原発事故」をなかったことにはしたくない、という人が、今もずっと支援してくれているからなのだと思うのです。



福島から保養にやってくる子どもは、元気いっぱいです。

だから放射能の心配はないんじゃない?と聞かれるのですが

元気いっぱい、笑顔でいっぱいでこれからも成長してほしいからです。

「放射能」は安全ではありません。今までも、これからも、この事実は変わらないと思っています。

福島は今も、放射能汚染の危険は高い場所だと思います。

福島第一原発事故は今でも事故処理が終わることはなく、作業員を常に募集していて、どうにもできない問題もあります。

放射能汚染も、「消える」ものではありません。

そのそばで暮らすことは、不安や苦労が多いだろうと思います。特に子どもを育てている人たちにとっては。

少しの間でも、その不安から離れることができること。

3つ目の奇跡は、「石橋胃腸病院」の有馬名誉院長が、保養に参加する子どもたち全員の甲状腺エコー、血液、尿、心電図など全身の健康状態を無料で検査してくれていること。

この検査を受けて、体に異常がないか?を知ることができること。

福島で暮らす子どもたちが放射能汚染の被害を何ひとつ受けずに健康に成長していってほしい、これが大きな願いなのです。




先日、NHKの朝ドラで「原爆裁判」に主人公が裁判官として関わるという回がありました。

平和条約締結後に、なぜ国を相手取り、この裁判に踏み切ったのか?というところで、弁護士の人が

ビキニ環礁で起きた第五福竜丸のことがあったからだと話していました。

日本は、これまでに、どれだけ「放射能」に苦しめられてきたか。

本当は、もう既に、どこの国よりも「放射能」や「原発」や「原爆」について、その苦しさや悲惨さ、悲しみを理解しているはずなのに。



私は、原発事故のことも「終わったこと」「もう心配がないこと」には、したくないです。



4つ目の奇跡は、保養を経験してくれた子どもたちや、学生の頃にボランティアで参加してくれた人たちが

大学生になってから、そして社会人になってからも、この保養にまたボランティアとして参加してくれていること。

彼らはとても若く、参加する子どもたちのよきリーダー、遊び相手、相談相手となり、親から離れて参加する子どもたちが安心して過ごせています。

「若い人たち」が、「手伝いに行きます!」と言ってくれる。このことも、どんなに有難いことかと思います。



5つ目の奇跡は、私の家族全員が、この保養のためにずっと共に続けてくれていることです。

小学生だった息子は18歳になり、今年受験生です。大学へ行って、社会科の教師になりたいのだそうです。

中学校と高校の社会科の先生は、戦争や原爆のこと、原発事故のことなどを、いろんな資料や、時に被害を受けた人などに語ってもらって授業で教えてくれたのだそうです。「社会科の先生ってそういう話が授業でできるから俺もなりたい」と言っています。

中学生だった娘はもうすぐ22歳になります。医学生です。この保養を支援し続けてくれている鈴木浩蔵さんや、有馬名誉院長に会って、「人の力になりたい」とずっと思い続け、医師になりたいと考えたようです。

現在のところ小児科医になりたいと思っているようです。病気になる子どもが1人でも少なくなること、病気になってしまったとしても子どもの命を救える医師になりたいとのこと。

保養の子どもたちの心の癒し笑?夫である哲は、やはり一番の私の理解者であり、相談相手でもあります。

彼も私と同じような思いがなければ、続けてくることはできませんでした。

保養でくる子どもたちは「安齋パパ」と彼を呼び、夏はクソ暑くて汗臭いはずなのに、ベタベタくっついています。

そして最初は17歳の時に保養に参加し、20歳になってまたボランティアとして戻ってきて、あれから6年、今は26歳になった富田太子。彼もいてくれなければ続けていけなかっただろうなと思うことがたくさんあります。

昨年の11月からうちで一緒に暮らしている阿部桃大も、多くの素敵なことをしてくれていて、素敵な絵を描き続けてくれています。

6月中旬からは、2011年最初の保養から参加していた野口倫大朗も、私たちの大きな力です。まっすぐで、面白い人です。

夫と出会い、子どもが産まれ、生きていく中で、それにしても素敵な人たちに出会えたなぁと思います。

血のつながりのある子どもたちも、血のつながりはないけど、ここを「生きる場所」にしてくれている彼らと出会えたことも。




「原発事故」「放射能汚染」などを

「なかったこと」「安全なもの」「終わったこと」にはしたくない。関わり続けたいし、力になりたい。

だけど、それを続けさせてくれているのは、多くの奇跡のおかげだと考えた夏でした。

「奇跡」という言葉が正しいかどうかわかりません。

(でも、私には信仰もあるため、奇跡を起こすことができるイエス様が導いてくれていることであるなら、「奇跡」と言ってもいいかもしれません。)

だけどその事象は奇跡のようなことだけれども、結局は「強く優しい心」を持った人たちがずっと続けてくれていること。

「支援」をすることすら「え?なんで?福島はもう大丈夫なんでしょ?」と訝しがられることもあるし、「原発事故」について口にすることもタブーとされるようなことなのに、「支援を続けるよ」と言ってくれて、今も力になってくれている人たちがいることに感謝しかありません。





セミの鳴き声が響き渡る8月15日終戦記念日

戦争で多くの人たちが亡くなり、失い、苦しみ、悲しんだこと。

原発事故や放射能汚染、これからも2度と起こしたくないし、苦しむ人が増えないように。

福島で暮らす子どもたちが、元気で、笑顔で、素敵な人生を送れるよう。

この「保養」という活動を続けさせてくれている皆さんに心から感謝を伝えたいです。



「平和」をつくっていける人間になりたいなと思います。




写真のクッキーは、保養の最後の日。

保養に来る前に家の手伝いなどで貯めたお金で買ったクッキーを、保養のボランティアスタッフ全員にくれた子がいました。

お土産や自分のものを買うためにつかったらいいのに。

子どもたちに、この場所があることも、きっととても重要なことなのだと思います。



そんな場所に私を居させてくれて本当にありがとうございます。

























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